2015-02-12

PARSONS卒業/先生・教育について/グラフィックデザイン学科専攻のNIREさん(VIP2013年卒)

はやいものでもう3セメが終わり、PARSONS AAS グラフィックデザインコースを卒業してしまいました。5年分、10年分の重みのある、人生を変えた1年半でした。出会えた人達も、学んだことも。

卒業してから気持ちがふわふわしたところがあり、なかなか書けなかったのですが、そろそろまとめられそうなので数回に渡って書こうと思います。
まず卒業時に私が持っていた感覚を、お話しします。

なお、3セメ目の授業内容についてはパーソンズのweb(英語)に私の記事が出ているのでそちらもぜひご覧ください。
vantanのブログで日本語訳をしてくれています。


 


光栄なことに、卒業式でスピーチをさせていただきました。
私は1人目のstudent speakerだったので先生方への感謝を伝えたいと思っていました。
というのも私にとってPARSONSに行って一番良かったのは先生との出会いだったからです。もちろん同級生達もだけれども、一番は先生。
27年日本にいて1人しか見つけられなかった「この人から一生学びたい!」「こんな人が世の中にいて良かった」と思う人に、1年半で3人も会えました。ミラクルです。
これはアメリカでは(少なくともPARSONSでは)まだ先生という職業が本当に知的従事者で、与えることが好きな人達(ここはとても重要)であるこという所も大きく影響していそうです。あと技を教えることに終わらない、人の能力を信じる人だということ。
教育について考えることの多い1年半だったし、先生という職業の素晴らしさを知りました。それは生徒を通して直接未来を作る、最もクリエイティブな仕事かもしれないと、思います。



このブログにも何回も出てくる、トム先生!は、まさに理想の(どれだけ言葉を尽くしても言い表せない程の)先生です。









卒業式のスピーチ原稿を書いている時にどうしても伝えたいと思っていたこと。
それは私が実感としてここ3カ月くらい感じていたことで、「パーソンズで学ぶこということは、自家発電機を体内に設置されるようなかんじ」だということ。

ものを作る人は誰しもinputとoutputを繰り返してると思うのですが、忙しくなるとoutputに偏りがちになり、アイデアもクリエイティビティも枯渇していくことが多いです。自分が擦り切れていってしまう感覚。そんな時、普段は外界からinspirationを取り入れるのですが(私の場合アート・本・音楽)、もし自分の内部にある油田みたいなものを掘り起こすことができるようになると、外界からのinputをせずともある程度self generateできるようになる、ということを体験できたんです。
外から受けたinspirationをoutputしていく場合、一度ごくりと飲み込んでから体を通過させて出す、という感覚。そこで起こるのは「消化」や「濾過」(もちろん時に素敵な化学反応もおこりますが)。行程としてはchooseしていく、所謂problem solvingとしてアウトプットになります。

一方、自分の中の油田から掘り起こす時というのは、まさにシャベルで自分の興味を「発掘」して「開発」させていく作業で、それはもはやデザインの範疇を超えてはいるのですが、長期間にわたり自分の創造のテーマにできるものです。


自家発電できたと思ったプロジェクトを1つ説明します。

Graphic Design3の授業のBook Project、テーマは与えられたリストの中から選びます。
そのリストにあるものがまず変わっていて、
嫌いな食べ物/イラク戦争/ジョージブッシュの伝記/ビートルズのホワイトアルバム/好きなテレビシリーズ/NYCガイドブックなどなど。
私は「ベートーベンの第九」をテーマに選びました。

親がクラシック音楽をしているので、私にとってもクラシック音楽はパーソナルなものです。まずは楽譜を読み始め、そして「楽譜ってinfo-graphicだな」と今更気付いたんです。音程とリズムを表すルールを作ったら新しい楽譜って作れるんだ、と思い立ち、音楽の世界観を可視化したビジュアルになるように形や色を練りながら、システムを構築。全く新しい楽譜を作るという挑戦をしました。


















左ページがシステムの説明(ドは紫で、レは緑で…等)、右ページが新しい楽譜です。5種類作りました。
有名な16小節のみをvisualizeしています。私のポートフォリオだともう少し詳しく見れます。ちゃんと理解するには結構時間がかかるかもしれません。

このプロジェクトは、リサーチにも時間をかけ、自分なりに音楽に宿る精神を深く掘り下げて、オリジナルのアプローチができたと思っています(クラスメイトに「どうやってこんなことを思いつくの…?」と聞かれましたが)。
やはり自分が心から感動できたものに対しては、この感動を伝えたい!という気持ちがモチベーションになり、熱心になれるものなのです。

思えば音楽をどうビジュアル化するかということには長く興味があったのです。
また私の現在の興味のひとつ「共感覚」というものも関わっています。
私は音楽を聴くと色やビジュアルが浮かんでくる、共感覚と呼ばれるものを持っているんのだと確信しているのですが、それをどのように生かせるか、試行錯誤していました。


自分がどういうことに興味があって、どういうものに感動するか、ということをどこかで注意深く観察しながら、掘り当てていく。そして「どんな風に出来上がるんだろう!?」とワクワクしながらやる。するとself-motivatedした状態でやっていけます。
PARSONSの先生は、その俯瞰能力を私たちに意識させながら(君はどんな風に世界を見ているの?とトム先生に散々聞かれた)、「自分がエキサイトできるものを作りなさい!」と言っています。
自分でエネルギーを生み出しながら進んでいけるような能力を、インストールしてくれたんだなあと、思います。その能力があれば創作で一番大事な「自分自身に飽きない」ということもできるのです。


トム先生が言っていました。「多くの先生は生徒に魚を与える。でもそれでは先生がいなくなってはその生徒達はまた飢えてしまう。僕はどうやって魚を釣るかを教えたいんだ」と。そしてまさに魚の釣り方を教えてくれました。

またタイポのニックス先生は「一番大事なオリジナリティという部分において、先生は無力だ。教えることができない。生徒が自分のやり方を見つけていくのを、どうにか導きたいが、それは結局自分でdevelopしていくしかない」と。

ニックス先生は本当にすばらしく個々の生徒に愛を持っていて、惜しみなく与えてくれる先生なのですが、その人が先生の無力さを語ったというのは、ある意味感動的でした。

先生達がどのようにstruggleして今の地位を築き(そこまでにはやはり人並みはずれた努力があり)、何にどのように情熱を燃やし、愛を注ぎ、何を私たちに本当に教えようとしているのか。言葉の端々に滲みでる思いをできるだけ取りこぼさないように、心で聞くようにしていました。
それはデザイナーとしてではなく1人の人間として幸せに生きていく大事なヒントになるうるものばかりでした。


本当にすばらしい先生方に出会えて幸せです。


続きます。